2014年12月14日日曜日

[p. 209] インターネット投票が行われないわけ

第10章では、情報の非対称について考えました。そして209ページから210ページにかけて、「情報の非対称に対処するための政府の取り組み」として、情報公開の義務化や資格制度などについて説明しました。 そこでの基本的な考え方は、
情報の非対称があるとき、情報を持たない側が損をすることを怖れて疑心暗鬼になり、本来ならば互いの利益になるはずの取引が抑制されてしまうため、情報の非対称を軽減・解消することが有益だ
というものです。

さて、以下では選挙における投票行為に関して、情報の非対称の観点から考えてみましょう。

わたしたちは20歳になると、選挙権を持ちます。そして選挙で投票する際には、地域の小学校などに設置された投票所に行く必要があります。みなさんはこのことに疑問を持ったことはありませんか?
なぜ投票所に行かなければならないのでしょうか。現行制度では投票所に行くための機会費用が発生しています。お金の支出はなくても移動時間などがかかるからです。

それならパソコンやスマートフォンを使って自宅からでも投票できるようにしてはどうでしょうか。これは、すでに技術的には可能です。また投票の機会費用が減ることから、投票率が高くなることにつながりそうです。それなのに、なぜインターネット投票が行われていないのでしょうか?

情報の非対称の観点から、その理由を考えてみましょう。

まずAさんとBさんの間で「お金を払うからXさんに投票してほしい」といった投票の売買が仮に行われたとしましょう。しかし現在のように投票所で投票する場合、誰が誰に投票したかが第三者にわかりません。したがって票を買った側は、取引相手が実際に投票所に行くところまでは確認できても、本当に自分の依頼通りに投票をしてくれたのかを確認することができません。もしかしたら他の候補者に対しても「お金をくれたら投票しますよ」などと約束していて、お金を二重取りしているかもしれないのです。

このように票の売り手と買い手の間に情報の非対称があるとき、情報を持たない買い手側は疑心暗鬼になり、取引に抑制的になることが考えられます。

これに対して、インターネットを使って自宅からでも投票できるようになると状況が変わります。約束通りの投票がきちんと果たされたのかを、票の買い手が目の前で確認できるようになってしまいます。 このように、パソコンやスマートフォンを使った投票を可能にすることには、投票の機会費用を下げるメリットがあるのと同時に、票の売買を容易にしてしまうデメリットがあるのです。 またここで考えたような票の売買だけでなく、他人を脅して投票させるといった行為が行われることもデメリットとして考えられます。

投票の機会費用を下げて投票率を上げることと票の売買を抑制することとを比較して、後者のほうが相対的に重要であるなら、投票所のような個人が隔離された環境で投票が行われることが今後も必要だといえるでしょう。ただし集計を容易にする等の理由で、投票所においてコンピュータやタブレット型端末を使うことはあるかもしれませんね。

教科書では、取引の円滑化のために情報の非対称を減らすことが必要だという説明をしましたが、反対に取引を減らしたい場合には、情報の非対称を維持することが有益となるのです。

2014年10月24日金曜日

[p. 20] ミクロ経済学の目的

19ページと20ページでは、まずミクロ経済学の目的は
「人々が合意の上で行う交換によって生み出される利益(=余剰)を最大限に実現させること」
であると説明しています。その上で
「個別の取引の決定を市場における人々の自発的な意思決定に任せたほうがよいのか、それとも政府による介入が必要なのか」
をこの教科書では考えていくと述べています。

このような記述を見て驚いた人もいるのではないでしょうか?

経済学は、個人の金銭的な利益追求しか考えていないと誤解されることあります。しかし、最終的な目的は、あくまで社会を良くすることです。ここで問題となるのは、個人の利益追求と社会全体の利益が一致しないことも多いという事実です。

経済学では、個人の満足度を最大にする選択について考えたり企業の利潤最大化を分析したりもします。しかしそれは個人の選択や行動を理解しなければ社会全体のための制度設計を考えることができないからです。望ましいルールを設定するためには、まずは人間を理解することが必要なのです。

「個人の選択を考える」というタイトルの第2章では、具体的に4つのキーワードを挙げて、個人の選択について考えていきます。そこではインセンティブ、トレードオフ、機会費用、限界的という言葉の意味を理解することにより、人間の選択についての理解が深まるはずです。

それに続く第3章と第4章では、市場が完全競争の条件を満たすときには、人々が自発的に取引活動を行うことを通じて、交換の利益を最大化させるという社会的な目的が自動的に達成できてしまうという驚くべき結果を学ぶことになります。

しかし現実の社会では、完全競争の前提条件が満たされていないことがほとんどです。そこで社会全体の利益のためには、人々の自由な経済活動に対して介入を行うことが必要になります 。

このとき教育や洗脳といった手段により人々の好みや考え方を変えさせるのではなく、うまいルールを作って、そのルールの範囲で自由に行動させることを通じて余剰の最大化を実現できるようにするというのが経済学における標準的な考え方です。 このような視点から、市場取引に対してどのような規制や介入が必要となるのかを第6章から第11章を通じて検討していきます。

2014年10月19日日曜日

[p.50] 完全競争市場とは

49ページから50ページにかけて、完全競争市場とはどのようなものかを説明しています。

まず完全競争市場とは、「取引に関する理想的な状況」であって、「注目している財・サービスが非常に円滑に取引されている状況のこと」だと述べた上で、具体的な前提条件として次の5個を挙げています。

1、その財・サービスを取引する市場が存在している。
2、その財・サービスについての情報を売り手と買い手の双方がそれなりによく知っている。
3、取引が相場の価格で行われている。
4、取引の際に必要となる手続きは、低コストで円滑に行われている。
5、その財・サービスの生産や消費に付随するすべての財・サービスについても市場が存在している。

それでは、なぜこの5つの条件が満たされていると、取引を円滑に行うことができるのでしょうか。

 まず売り手と買い手にとって、市場がなければ取引ができません。市場が存在していれば取引が容易に行えるでしょう(条件1)。
 また取引対象となる財・サービスの品質を取引当事者がよく分かっていなければ、取引時にその品質を確認することに時間とお金がかかると思われます。場合によっては、品質が分からなければ買い手は取引を諦めてしまうこともあるかもしれません。また、生産者側がその財・サービスを提供する際にどの程度の費用がかかるのを知らなければ、取引を行うことを躊躇するでしょう。これに対して必要な情報を持っていれば、安心して取引を行うことができます(条件2)。
 次に、取引を行う際に、売り手と買い手の間で価格交渉を行うことには、時間と手間がかかります。しかし、市場の相場の価格が決まっていれば、その価格で売るか否か、また買うか否かを決めればよいという意味で、容易に取引の判断を行うことができます(条件3)。
 このように取引の際に価格交渉をすることだけでなく、取引相手を探したり、相手に会うために移動したりすることに費用がかからなければ、それも取引を容易に行うことの助けとなります(条件4)。
 そして取引の影響が、当事者たちの間で完結していて、第三者に対して良い影響や悪い影響を与えることがなければ、他者による陳情やクレーム、介入を受けることなく取引を行うことができます(条件5)。

完全競争市場とは、あくまで取引を円滑に行うことができる理想的な状況です。現実の経済活動がこのように行われているわけではありません。しかし、このような理想的環境について考えてみることが、市場取引についての私たちの理解を助けてくれるのです。

2014年8月15日金曜日

[p.157] 買手独占と最低賃金制度

103ページから111ページでは、完全競争市場の条件が満たされている場合には、価格規制は望ましくないという説明をしました。それにより死荷重が発生してしまい交換の利益が最大限に実現されないからです。しかし110ページに書いたように、完全競争市場の前提が満たされていなければ、話は変わります。

具体的には、110ページから111ページで説明したように、特定の地域において労働力の買い手が独占状態であるとき(これを買手独占といいます)、最低賃金を導入することにより余剰が増加する可能性があります。

しかし独占について詳細に扱った第7章では、売り手側が独占の状態だけを扱っていたため、ここでは買い手側が独占のケースを丁寧に説明しましょう。

買手独占と限界便益曲線

以下では、労働力を取引する市場において買手独占が発生しているケースを扱うことにしましょう。 このとき労働力の価格(=時給)に応じて労働者がどのくらいの労働力を提供しようとするかを表す供給曲線は存在しますが、労働力の需要曲線は存在しません。なぜなら老鵜動力の買手側である企業は、自分で価格を決定できるからです。これは生産者側が独占の場合に、需要曲線はあるが供給曲線がない状態と対称的ですね。

ここでは労働者側の供給曲線は、切片が0で傾きが1の直線で表されるとします。また労働力の消費者である企業側の限界便益曲線は、切片が1で傾きが-1の直線で表されるとしましょう。これを図示すると次のようになります。ここで縦軸の価格とは労働力の単価である時給であること、また横軸の数量とは労働力の量であるため総労働時間です。なお供給曲線は縦軸の価格から対応する数量を読み取るものですが、限界便益曲線は横軸の数量から高さを読み取るものであるという違いがあることに注意してください。

このように具体的な形状を決めておくと、具体的な数値として、例えば二つの直線の交点は数量と価格がそれぞれ1/2のところであることなどが分かります。

独占企業の選択

さて、労働力の独占的な消費者である企業側の視点から、どのくらいの労働力を利用しようとするのかを考えることにしましょう。独占企業は、数量を選ぶと考えても価格を選ぶと考えても良いので、ここでは分かりやすいように数量を選ぶとしています。

企業が、例えば1/2だけの労働力を選択すると、それにより得られる便益は下の図の影を付けた領域の面積になります。

これは台形の面積を求める方法を使うと(または三角形の面積と正方形の面積を足すことでも求められますが)3/8となります。このような「ひとつあたり」の図よりも「全部でどれだけ」の図のほうが、独占の場合は話を理解しやすいので、書き換えてみましょう(「ひとつあたり」と「全部でどれだけ」についてはサポートサイトの第3章で説明していますので、こちらをご覧ください)。

まず上の「ひとつあたり」の図を参考に、労働力をxだけ利用しているときに企業が得られる余剰の大きさを求めます。台形の面積を求める公式は(上底+下底)×高さ÷2でしたので、(1-x+1)×x÷2を計算すると、x-x²/2となります。これを「全部でどれだけ」の図にすると次のようになります。

次に、労働力をxだけ利用する場合に、企業が支払わなければならない賃金総額について考えることにします。すべての労働者に対して同じ時給を支払うことを前提とすると、供給曲線の形状から分かるように、xだけの労働力を得るためには価格をxとしなければなりません。例えば、次の図のように、1/2だけの労働力を必要とすれば時給を1/2として、総額で1/4だけの賃金が必要です。

さて、賃金総額を「全部でどれだけ」の図に書き換えておきます。必要な労働力が全部でxのとき賃金総額はx²なので、次のようになります。

二つの図を重ね合わせると、独占企業にとって利益が最大になる労働力の利用量が分かります。それは総便益から総費用を引いた差が最大になる数量であり、この場合には1/3となります(微分の計算が必要になるため、ここでは計算を省略しています。しかし、少なくとも1/2よりも少ない数量のところで差が最大になっていることが図からも分かりますね)。

独占による死荷重の発生

それでは総余剰の大きさを理解するために、「全部でどれだけ」の図と「ひとつあたり」の図を比較してみましょう。独占企業が利用する労働力の量が1/3であるとき、それに対応する価格は1/3となります。

したがって、労働力の消費者である独占企業が得る余剰は下の図のA、労働者が得る余剰はB、そして実現できない余剰である死荷重の大きさはCの領域となります。

最低賃金制度による余剰の最大化

このように死荷重が発生しているのは、社会的に最適な状態と比較して、独占企業が賃金を低めに設定し、労働力を少なくしか利用していないことから発生しています。そこで最低賃金制度を導入することで、総余剰を増加させることができる可能性があるのです。そして、最低賃金の水準がちょうど1/2であるとき、次の図のように余剰が最大化されます。

このとき企業の余剰はDで労働者の余剰がEとなります。適切な最低賃金制度が導入されると、企業の余剰は減少しますが、より多くの労働者がより高い賃金で雇われるようになることを通じて労働者の余剰が増加します。そして前者よりも後者の方が大きいため、規制により総余剰が増加するのです。

ただし、最低賃金の水準が1/2よりも低くても高くても死荷重が発生することには注意してください。また、高すぎる最低賃金(ここでは2/3より高い場合)では、規制がないときよりも総余剰が減少してしまうことに注意してください。

2014年7月23日水曜日

[p.60] 「ひとつあたり」の図と「全部でどれだけ」の図

ミクロ経済学を勉強する上では、様々な図が登場します。それらを理解するために重要なのは、それが「ひとつあたり」の図なのか、それとも「全部でどれだけ」の図なのかを区別することです。

「ひとつあたり」の図とは

「ひとつあたり」の図の代表例は、需要曲線の図です。

54ページから60ページでは、個人の需要曲線とはどのようなものなのかを説明しました。需要曲線とは、注目している消費者が、価格がいくらのときにどのくらいの数量を買うのかという選択を表すものでした。例えば、図3.5として示した出川さんの需要曲線とは、次のようなものでしたね。

この図の縦軸の「価格」というのは一つあたりの価格、つまり単価でした。 そして、この図を見ると、価格が1000円のときには出川さんは10個買うこと、また500円のときには15個買うことが分かります。

また、縦軸の価格から対応する数量を読み取るのではなく、79ページから82ページで説明したように、横軸の数量から対応する高さを読み取ることで、消費者にとっての価値を知ることができます。この場合、出川さんにとって、この財・サービスの10個目の価値は1000円であることが分かります。ここで大事なのは、横軸の数量というのは「何個目」なのかを表しているということです。

「全部でどれだけ」の図とは

さて、この出川さんの需要曲線を、「全部でどれだけ」の図に書きかえてみましょう。

上では、比較しやすいように、先ほどの需要曲線の図の右側に「全部でどれだけ」の図を並べてみました。横軸は同じく数量であるのに対して、縦軸が、価格と金額という異なったものである点に注意してください。

それでは右側の図をどのように理解すれば良いのかを説明しましょう。

まずこのグラフは横軸の数量から高さを読み取る図です。青い曲線は、数量に対応する消費者の価値を表しています。例えば10のところの高さは、出川さんがこの財・サービスを10単位消費することによって、全部でどのくらいの満足度を得られるのかを表しています。そして数量が増えていくと、得られる満足度の大きさが増えていきますが、増え方が減っていくことが、この青い曲線から分かります。

次に、右上がりの赤い直線は、ひとつあたりの価格に応じて、出川さんが全部でどのくらい支払わなければならないのかを表しています。これが「全部でどれだけ」ということの意味です。(なお図の高さは、全部でどれだけの金額かを表しているので、縦軸が価格ではなく金額となっていることに注意してください。)

このように考えると、青い曲線と赤い直線の差が、消費者にとっての交換の利益(=消費者余剰)を表していることが分かります。収入から費用を引くと利潤が計算できるのと同じですね。この消費者余剰が最大になるような数量を、消費者は消費量として選択するのです。

右側の図からは、価格が1000円のときには、消費者余剰を最大にするのは10個買うこと、また価格が500円のときには15個買うことだというのが読み取ることができます。これは左側の需要曲線が表していることとまったく同じですね。

図の区別はとても大事

同じことを表すのに、「ひとつあたり」の図を使うことも「全部でどれだけ」の図を使うこともできます。そのときどきによって使いやすい方を使えば良いのですが、いま見ている図がどちらなのかは確実に理解し、混乱しないようにしましょう。 例えば42ページの図2.5では、デパートの営業時間について図で示されていますが、これは「全部でどれだけ」の図です。また独占を扱っている156ページの図7.7では、「全部でどれだけ」を描いた図と「ひとつあたり」の図が縦に並べられています。

それでは、図が違えば、同じ物事が違った形で表現されるということを具体例を用いてみておきましょう。先ほどの出川さんの需要曲線を二通りの表現で描いた場合について、価格が1000円のときに出川さんが得る消費者余剰の大きさは、図のどこに相当するでしょうか。

左のように「ひとつあたり」の図の場合には、一つ目から得られる余剰から10個目から得られる余剰までを足し合わせないといけないので、青い三角形の面積が消費者余剰となります。 これに対して右側の「全部でどれだけ」の図の場合には、10個目のところをみて、得られた価値から支払金額を引けば良いので、青い矢印の幅が消費者余剰となります。

図の縦軸や横軸が何を表しているのかをきちんと理解し、その意味を正確に捉えられるようにしましょう。

2014年7月19日土曜日

[p. 76] 超過需要があるときに、価格に上昇圧力が働く

第4章の75ページから76ページでは、超過需要と超過供給について説明しました。価格がとても低いときには、需要量は多く供給量は少なくなるため、超過需要になる、また価格がとても高いときには、需要量は少なく供給量は多くなるため、超過供給になるのでしたね。

さて、以下では次の図のように、価格が低いために超過需要が発生している状況について考えてみましょう。

教科書では「超過需要の場合には、価格を上昇させる圧力が働く」ということが、次のように説明されていました。

なぜなら、そのような安い価格ならば「ぜひ買いたい!」と考えているのに買えないでいる消費者は、生産者に対して「もう少し高くても良いので,他の人ではなく自分に売ってほしい」という相談を持ちかけるでしょうし、売り手側も値上げを提案することが考えられるからです。

価格が上昇することは、消費者にとって不幸なこと?


ここで皆さんは疑問に思うかもしれません。消費者にとっては、価格が上昇することは「交換の利益」を減らしてしまうため、望ましくないのではないでしょうか?

価格が上昇することは、確かに消費者にとって不幸なことです。しかしそれは、注目している財・サービスを低い価格でも運良く買えていた消費者にとっては、価格の上昇により損することになるという意味である点に注意しましょう。

思い出して欲しいのは、超過需要があるときには、限られた量の財・サービスを多くの消費者たちが奪い合っている状態だということです。そして仮に現在の低い価格の下で、買いたいと考えている消費者たちの間で、実際に買える人がランダムに選ばれるとすると、その財・サービスを相対的に高く評価している人が結果として買えない可能性があります。これは「交換の利益を最大限に実現させる」という目的からは、もったいないことです。

このように考えると、超過需要のときに価格を上昇させる圧力が働くことは、一見すると消費者にとっては不幸なことのように思われるかもしれませんが、注目している財・サービスに対して高い価値を見いだしている消費者にとっては、確実にその財・サービスを入手できるようになるという面でメリットがあり、また社会全体の視点からも総余剰を増加させることからメリットがあると考えることができるのです。

2014年6月4日水曜日

[p.177] 生産に負の外部性があるときに、消費者に課税すると?

第8章の172ページから177ページでは、生産活動にともない負の外部性がある場合に、人々の間で自発的な取引が行われると、社会的に最適な水準と比べて生産が過剰になってしまうこと、またその結果として死荷重が発生することをまず説明しました。その上で適切な課税により、社会的に最適な水準まで取引量を減少させることができることを説明しました。

そして177ページでは「上で見た従量税と同じだけの税金を消費者に課すことでも、取引量はやはり社会的に最適な水準となりますので、ことのことを図を描いて確認してみてください」と言いました。この課題を、一緒に考えていきましょう。

生産者側に課税するケースの復習


まず生産者側に課税するケースを復習します。 消費者の需要曲線と生産者の供給曲線は次のようなものだったとします。

このとき二つの曲線の交点を見ると、均衡における取引量がわかります。

そして注目している財・サービスを1単位生産するごとにxだけの負の外部性が発生するとき、私的な限界費用を反映している供給曲線よりもxの分だけ上に、社会的限界費用曲線が描かれることになります。

ここで何が問題なのかというと、下の図にあるように、社会的に最適な水準よりも取引量(=生産量)が過大になってしまっているわけです。

この負の外部性に相当する費用も、仮に生産者が負担しなければならなかったとしたら、供給曲線はそれを考慮したものになるということは大丈夫でしょうか?

このときx軸から高さを考える限界費用曲線とy軸から数量を考える供給曲線とでは図の描き方が異なることには注意してください。

ここで次のように領域を区切って、

教科書175ページにある図8.3と同じように、AからHまで名前を付けます。

課税がない場合


課税がない場合には、上の図のyまで取引が行われるため、
  • 消費者余剰は、A+B+C+D、
  • 生産者余剰は、E+F+G、
  • 周辺住民が被る負の外部性の被害は、C+D+F+G+H

    となるため、合計すると、(A+B+C+D)+(E+F+G)-(C+D+F+G+H)となります。
    結果として総余剰は、A+B+E-Hとなるわけです。

    生産1単位あたりxの課税をする場合

    それでは生産者側に、外部性の大きさxと同じだけの課税するケースを考えてみましょう。

    このとき、生産者にとっての供給曲線は課税額xの分だけ上に移動することになります。

    そして需要曲線と課税後の供給曲線の交点を見ると、課税により社会的に最適な水準まで取引量(=生産量)が抑制されたことが分かります。

    それでは総余剰の大きさについて確認します。先ほど領域ごとに名前を付けたので、これをもう一度使うことにしましょう。

    課税が行われている場合には、上の図のxまで取引が行われるため、

  • 消費者余剰は、A、
  • 生産者余剰は、B+E、
  • 周辺住民が被る負の外部性の被害は、C+F、
  • 政府の税収は、C+F、

    となるため、合計すると、A+(B+E)-(C+F)+(C+F)となります。
    結果として総余剰は、A+B+Eとなるわけです。
    先ほどの課税がないケースと比較して、Hの分だけ増加していることが分かりました。

    消費者側に1単位あたりxの課税をする場合

    それでは、本題に入ります。

    生産者側ではなく、消費者側に課税しても、取引量が社会的に最適な水準となることを見ていきましょう。

    ここでの政策目的は、負の外部性があることにより過大になっている取引量を、社会的に最適な水準まで抑制したいということです。

    そして取引量を抑制するために、消費者側に課税をするわけです。

    このとき生産者側の行動は、私的な限界費用によって決まる供給曲線により決まります。

    ここで目指している水準まで取引量を抑制するためには、需要曲線がどこまで下に移動すれば良いのかを考えます。下の図のようなところまで移動すれば良いですね。

    需要曲線が移動した幅は、外部性の大きさxと一致しています。

    つまり必要な課税額は、1単位あたりxとなります。

    それではこの場合の総余剰の大きさについて確認します。先ほどの図は今回は使えないため、あらためて領域にAからFまでの名前をつけておきます。

    消費者側に課税が行われている場合には、上の図のxまで取引が行われるため、

  • 消費者余剰は、C+D、
  • 生産者余剰は、E+F、
  • 周辺住民が被る負の外部性の被害は、B+D+F、
  • 政府の税収は、A+B、

    となります。これを合計すると、(C+D)+(E+F)-(B+D+F)+(A+B)です。

    ここでA+Bの面積とB+D+Fの面積が同じことに注意しましょう。平行四辺形の面積の求め方を思い出してください。
    結果として総余剰は、C+D+E+Fとなるわけです。

    生産者側に課税した場合には、この図の記号を使うと、A+C+Eだけの総余剰が実現していたわけですが、消費者側に課税した場合の総余剰の大きさも、これとまったく同じ大きさ(C+D+E+F)になっています。
    これはAの面積とD+Fの面積が同じことから簡単に確認できます。A+Bの面積とB+D+Fの面積が同じことを先ほど見ましたが、両方からBを除くと、AとD+Fの面積は同じですね。

  • 2014年6月2日月曜日

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